山海関で李自成と清の軍勢に挟まれる形で窮地に立っていた呉三桂が異民族である清軍に降った経緯に関しては、諸説があり確かな結論は無い。宋代以降、異民族と戦った将軍を英雄視する社会の中で、結果として異民族に中国を売り渡したと評せられるこの行為に対し、陳円円という美女のせいであるという話が早くから流布している。
蘇州の歌姫で絶世の美女と称せられた陳円円は、もともと崇禎帝のために皇后の父の周奎が買い求め、皇帝の寵愛を受けないうちに呉三桂が見初めていた。呉三桂が遼寧に出征した際に陳円円は呉襄の屋敷に住むことになったが、この直後に北京は李自成の軍勢に占領された。そして李自成の武将である劉宗敏に陳円円が奪われたことを知った呉三桂は激怒して、父に詰問状を送るとそのまま清軍に援助の要請を行った、というのである。
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この話は『明史』にも載っているが、果たして呉三桂の真意がどこにあったかは不明である。しかし早くから民間には陳円円に関する説話が広まっており、同時代の詩人である呉偉業(梅村)は七言古詩『円円曲』を詠み、その中で「冠を衝く一怒は紅顔の為なり」(呉三桂の怒りは陳円円のためだ)と謡っている。 ただし、呉三桂の評判がかんばしくないことから、彼の背信行為を憎む後世の人々が作り上げた話だといえなくもない。